太宰治記念館

太宰治の長兄(文治)が1922(大正11)年の結婚を機に新築し、津島家では、「新座敷」と呼ばれていました。 終戦直前の1945(昭和20年)7月末から、1946(昭和21)年11月12日まで太宰治が東京、甲府の戦禍からのがれ、 妻子を連れて故郷に身を寄せた場所とされています。

作品

太宰治は疎開中にこの「新座敷」で世情を諷刺した作品を書き上げています。 (昭和22年7月5日に中央公論社より刊行された初版本の表紙)

戯曲「冬の花火」「春の枯葉」
新聞小説「パンドラの匣」
自伝的エッセー「十五年間」「苦悩の年鑑」
創作「男女同権」「親友交歓」「トカトントン」「海」「嘘」「貨幣」など

■太宰治の作品の中には「新座敷」での様子が書かれているものがあります。

洋間

そっと母の傍を離れて廊下に出た。廊下を歩いて洋室に行った。洋室は寒く、がらんとしていた。 白い壁に、罌栗の花の油絵と、裸婦の油絵が掛けられている。 マントルピイスには、下手な木彫が一つぽつんと置かれている。 ソファには、豹の毛皮が敷かれてある。椅子もテーブルも絨毯も昔のままであった。

作品「故郷」より

和室(10畳、6畳)

母は離れの十畳間に寝ていた。大きいベットの上に、枯れた草のようにやつれて寝ていた。 けれども、意識は、ハッキリしていた。(略) 病室には叔母の他に、看護婦がふたり、それから私の一番の上の姉、次兄の嫂、親戚のおばあさんなど大勢いた。 私たちは隣の六畳の控えの間に行って、みんなと挨拶を交した。

作品「故郷」より

長兄はそのとし結婚して、祝言の晩に私と弟とはその新しい嫂の部屋へ忍んで行ったが、 嫂は部屋の入口を背にして座って髪を結わせていた。 私は鏡に映った嫂のほのじろい笑顔をちらと見るなり、弟をひきずって逃げ帰った。 そして私は、たいしたもんでねえでは゛!と力をこめて強がりを言った。

作品「思い出」より

連絡先

「こころの贈りもの白川」
TEL:0173−52−3063
ご案内料金:500円 / 受付時間 9:00〜17:00
内部見学の方はお電話でお問い合わせ下さい。

太宰治記念館「斜陽館」を左に出て、黒塀の細道を通って駅に向かうとおよそ200メートルの所にあります。


ネットショップ「太宰屋」

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